RIIT レポート No.1
所長 井尻直彦
COVID-19 危機
新型コロナウィルス(以下、COVID-19)の危険性を多くの日本の人びとが知ったのは,おそらく2020年1月のことでしょう。中国・河北省武漢市で新型ウィルス感染によるとみられる肺炎患者急増の報道が出て,その後1月下旬に武漢市では衝撃的な都市封鎖が起こりました。
そして,このCOVID-19 は瞬く間に欧米各国にも伝染していきました。防疫努力をしても感染爆発が起きてしまった国々では,国民生活に大きな犠牲を強いる社会的距離(Social distancing)政策による都市封鎖が次々に起こっています。このことからも,感染力の強いCOVID-19 の伝染をコントロールすることは,とても難しいことがわかります。これらの国々に比べれば伝染スピードは遅いものの,日本においても社会的距離政策による都市封鎖の不安が着実に現実のものとなろうとしています。
日本では,マスク不足から始まり,トイレットペーパー,米,インスタント食品などの買い占めが起こり,人びとの間に生活必需品に対する供給不安が広まっています。
人びとの不安と向き合う
普段からウィルスや他の病原菌から身を守る術として,マスクを着用する人が多い日本では,COVID-19 の感染を防ぐため,より多くの人々がマスクを買い求め始めました。そのためマスクの需要は例年よりも急増し,市場では深刻なマスク不足が生じています。報道はこの不足の原因がマスクの国産化率が低いことにあり,その生産を過度に外国に依存することの危険性を伝え,一方,トイレットペーパーは国産化率が非常に高く,供給が絶たれる恐れが無く安心だと伝えました。そして,日本政府も民間企業のマスク生産を緊急的に支援し,国内での増産を促しています。おそらく,多くの人びとは「国産化=安心(安定供給)」という意識を持っているのでしょう。
しかし,現在の日本の人びとの生活は世界のおよそ200カ国と貿易取引を行うことによって成り立っています。原油のように国産化が不可能なモノもあります。私たちの生活を維持するためには,いまのような危機にあっても,海外から必要なモノを必要なだけ調達できるようにすることが大切です。すなわち,私たちは自由貿易を維持することで安心を得られるので
危機初期の日本の貿易
そこで,COVID-19 危機下での日本の国際的な貿易取引の状況を確認してみましょう。ここでは,先日公表された財務省『貿易統計』の月次データを用いて,日本の直近の貿易額の変化を確認します。なお,4月3日時点では2020年2月(速報値)が最新の貿易データとなり,これはこの危機の最初期の状況を示していると考えられます。4月下旬に3月の速報データが公開されますので,危機が本格化した後の状況を知ることができるはずです。
まず,図1は2019年9月から2020年2月の日本の月次輸入額の推移を前年同月(2018年9月から2019年2月)と比較しています。図1の右軸には前年同月比(%)が示されています。これによれば,2019年9月の時点で既に前年に比べて輸入額は減少していたことがわかります(2020年1月を除く)。そもそも、2019年の日本の貿易量は米中貿易戦争に代表される保護貿易主義の台頭の影響を受けていました。そして,2020年には世界の貿易量が減少し,世界経済の景気が後退することが懸念されていました(IMF,2019)。
さて,中国・湖北省武漢市でCOVID-19の感染が拡大し,事実上街が封鎖されたのが1月23日でした。図1によれば,この翌月,2月の日本の世界からの輸入額は約5.2兆円で,これは前年同月に比べ約0.8兆円の減少であり,これを比率で表すと前年同月比14%の減少となります。通常,貿易量は季節変動があるため前月比の解釈には注意が必要ですが,この2月の輸入額は1月に比べ約23%の減少です。これは,日本側の輸入需要の減少の影響もあるでしょうが,主には輸出国側の輸出供給の減少が原因であろうと推測されます。もちろん、今後より精緻な実証分析が必要です
一方で,図2に示されているように,同時期の日本の輸出額はやはり前年同月に比べて減少傾向にありますが,2月の輸出額はわずかに減少しただけであり,ほぼ前年同月と同じ水準と考えられます。
次に,図3では,同時期の日本の輸入相手国別の変化を比較しています。対象国は2019年に輸入額の上位10カ国です。これによれば,前年同月比で2月では,UAEからの輸入が20%を超える増加となり,台湾,韓国からの輸入も若干増加していますが,これら以外の輸入額上位10カ国は減少しています。特に,中国からの輸入額は前年同月比で47%を超える減少となっており,対象国の中で最大の減少幅となっています。これは,COVID-19 の感染拡大によって中国国内での生産活動が急速に減退したことに起因すると考えられます。3月以降,中国の生産活動が回復するか,あるいはさらに減退するのかによって今後の中国からの輸入量が変化するでしょう。
ところで,前回の世界経済が受けた大きなショックはリーマン・ショック(2008年金融危機:the 2008 financial crisis)でしょう。図4によれば,この危機下の2009年の日本の世界から輸出入は共に前年比で30%を超える減少となっていました。今後,日本国内でCOVID-19 の感染が拡大し,都市封鎖やビジネス機会の損失による経済活動の停滞が長引けば,さらに日本の輸出入は減少することが予測されます。2009年当時,日本の名目GDP成長率が−5.4%となって経済活動が縮小したように,都市封鎖等の影響により2020年の日本のGDPはそれと同程度か,あるいはそれ以上に減少するという分析が報告されています(Inoue&Todo,2020; OECD,2020)。
国際社会の防疫体制
COVID-19の影響で2020年の世界の国際貿易は,リーマン・ショック下の2009年のように大幅に縮小する恐れがあります。このような国際貿易の減退期には,20世紀の世界大恐慌後にみられたように,ある国が保護貿易政策の引き金を弾くと,他国の報復的な保護貿易政策を呼び起こし,世界の主要国間に保護貿易主義が伝染する恐れがあります。結果として,保護貿易主義の国際社会における伝染が多くの人命を奪う結果を招いてしまったと言えるでしょう。それゆえ,この反省に基づいて20世紀後半から私たちの国際社会は保護貿易主義の伝染を防ぐために,貿易体制を整える努力を続けてきました。
ところが,21世紀になっても,やはり危機において保護貿易主義が台頭してしまいます。たとえば,オバマ政権は先の金融危機下において景気対策として「米国再生・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act of 2009:ARRA)」を2009年に施行し,これには公共事業で使用する鉄鋼等について自国製品の調達を義務付けた、いわゆる「バイ・アメリカン条項」が盛り込まれていました。その後,この方向性はアメリカにおいて維持され,近年ではトランプ政権下で引き起こされている米中貿易戦争などへと一段と強化されていきました。残念ながら,保護貿易主義との闘いは,21世紀において止むことはなさそうです。
日本ではCOVID-19 が発生し他国よりも先に感染が拡大した中国からの輸入が2月時点で減少しています。今後,中国以外の国々からの輸入も減少し,そして日本からの輸出も減少していくと考えられます。その結果,2020年の日本の貿易は,2008年金融危機と同程度か,あるいはそれ以上の縮小となる恐れがあります。これは日本および世界のGDPが縮小し,つまりは世界的な不況に陥ることを意味していると考えられます。過去の例をみれば,国際的な経済危機は保護貿易主義を伝染させる恐れがあるのです。
危機へ備える
未知の伝染病,大恐慌など一人の力では対処できない深刻な危機から国民の生活,生命を守ることは国家の役割です。国民に必要な医療,医療器具,衛生用品などの安定供給や,社会保障などのセキュリティネットの整備などは,国家が担うべき役割と言えます。この意味で今回の危機において国民にマスクを供給することは,国家の役割と言えるでしょう。しかし,それは必ずしもマスクの国産化を意味するのではありません。マスクの備蓄による供給でも良いはずです。
つまり,人びとは「マスクが外国で生産されている」から不安なのではなく,「マスクがお店の棚から消える」という供給不足が生じるため不安になるのです(もちろん、外国に依存していることが不安を煽った側面もあるでしょう)。これは,危機への備えとして,平時から生活必需品を備蓄することと同様に,危機においても,それらのモノを諸外国から安定的に調達できることが大事であることを示唆しています。
今日の私たちの自由貿易体制は,外国から安定的に必要なモノを購入することができるシステムです。もちろん,これは国産品を外国に安定的に販売することと一体であることを忘れてはいけません。今回のような危機においてこそ,国際社会はこれまで築いてきた各国の生産能力を活かし,世界の人びとが安心できるように,必要とするモノを協調して生産し取引することが大切です。危機において,外国には売らない,外国からは買わない,という保護貿易主義では,国民の生活を守ることはできません。だからこそ,危機において自国の,そして外国の人びとの生活を守るためにも,平時からこの自由貿易のシステムを守ることが大切です
2021年に向けて
幸いにも,20世紀の大恐慌の時と異なり,今日の国際社会には自由貿易体制があります。2008年金融危機後,2010年には輸出入額とも比較的速やかに増加していき,危機前の水準に近づいていきました。しかし,この体制は人びとが注意深く見守らないと崩壊してしまうかもしれません。
これまで世界に向かって力強く自由貿易を主唱してきたJ.Bhagwati コロンビア大学教授は,先の金融危機下の2009年2月5日のFinancial Timesに“Mr. Obama, in the midst of a historic economic crisis, can ill afford to repeat this pattern: he has to fight protectionism right away or live to see the virus spread beyond control.”(オバマ大統領は,この歴史的な経済危機の真っただ中で,歴代大統領のように保護貿易主義者に迎合するというパターンを繰り返す余裕は無いはずだ。いますぐに保護貿易主義者と決闘しなければならない。さもなければ,保護貿易主義というウィルスが,コントロール不能なまでに感染拡大していくのを見るはめになる。[筆者訳])と意見を寄せています。
私たちは,2021年に世界の国際貿易が少なくとも本来の水準に戻るように国際社会に保護貿易主義が伝染しないように見守るべきでしょう。未知のCOVID-19のパンデミックに晒されている今の国際社会において,私たちは保護貿易主義という伝統的な「ウィルス」のパンデミックにも注意する必要があります。
References:
International Monetary Fund (IMF) (2019) World Economic Outlook: Global Manufacturing Downturn, Rising Trade Barriers, Washington, DC, October.
Inoue, H. and Y. Todo (2020) “The propagation of the economic impact through supply chains: The case of a mega-city lockdown against the spread of COVID-19”, https://arxiv.org/abs/2003.14002
OECD (2020) OECD Economic Outlook, Interim Report March 2020, OECD Publishing, Paris, https://doi.org/10.1787/7969896b-en.
次のボタンから他のRIITレポートをお読みいただけます。