RIIT レポート No.4
所長 井尻直彦
COVID-19のパンデミックは,国際社会が時間を掛けて築き上げてきた,国際貿易上の国家間の信頼関係に打撃を与えています。世界的に需要が急増しているにもかかわらず,マスクを生産している国々が輸出規制を強めている,という報道も目につくようになりました(日経新聞,5月4日朝刊)。そして,国内市場のマスク不足は一向に解消する気配がなく,依然として品薄が続いています。こうした中で,輸入に頼らずに国内生産に回帰すべきだという意見も出ています。このマスクの輸入が3月に入ってどう変化したのか,見ていきましょう。
日本衛生材料工業連合会の調べによれば,2018年のマスクの国内生産量は,輸入量のおよそ1/4程度しかありませんでした。しかも,この国内生産量には輸出される部分もあるため,すべてが国内で消費されるのではありません。したがって,日本のマスク市場は大部分を輸入品に依存していることになります。
不織布製マスクを含む製品項目(HSコード630790.029)の輸入において,日本はおよそ8割を中国に依存しています。そのため中国からの輸入が急減すると日本の国内市場に大きな影響を与えてしまいます。COVID-19の感染が中国で拡大していた2月には,中国からこの項目の輸入が,前年同月比で半減し,日本の市場に大打撃を与えました(RIITレポートNo.2を参照してください)。
3月の輸入は速やかに回復傾向へ
中国からの当該項目の輸入額(図1)は, 3月は129億円と2月に比べ約4倍に増加しており,前年同月を大きく上回る水準にまで急速に回復しています。これをみると,3月になり中国の生産活動および輸出は,おおよそ元の水準に戻ってきているようにみえます。
しかし,中国からの当該項目の輸入量(図2)は2月に比べ約2倍に増加しているものの,前年同月と比べると10%程度少なくなっています。つまり,輸入量をみる限り,まだ平時の水準には完全に戻っていません。また,中国と同様に世界からの当該項目の輸入も,2月の金額よりは増えたものの,数量ではまだ昨年を下回っています(図3)。
輸入単価の急上昇
そして,3月はこれまでよりも当該項目の輸入単価[1]が大幅に上昇しています(図4)。2月では1キロ当たりの輸入単価は902円でしたが,3月では1843円へとほぼ倍に値上がりしています。また,中国だけではなく,世界からの当該項目の輸入単価も同様に上昇しています。
この輸入単価の上昇は,需要増による不織布価格上昇に伴う生産費用の上昇,中国国内における品質認証等の取得に伴う輸出手続き費用の上昇,そして航空輸送費用の上昇などによって引き起こされたと考えられます。これに加え,マスク需要の急増により依然として品不足は続いているため,さらに国内の市販価格は上昇しています。
国産回帰という甘い幻想
近年,日本においては,マスクを含む当該項目の世界からの輸入量の80%を中国が占めています。今危機下では,この中国からの輸入量が急減し,市販価格の上昇,深刻な品不足の継続などを招いています。このため,日本では,消費者のみならず政府までも,マスクなど購入が困難となった「国民の健康に関わる重要な物資」の国産化を叫び始めました。しかし,危機後の平時においても,果たして民間企業が使い捨てマスクを日本国内で生産するべきか,冷静に考えることが必要です。
危機下に,中国から輸入された不織布製使い捨てマスク1箱(50枚)の販売価格は,品質はともかくとして,4月上旬ではおおよそ3000円から4,000円ぐらいに上がっていたでしょう。一方,シャープが緊急的に生産を始めたマスクの販売価格は4月末で2980円となっています。これは,日本でマスクを生産すると,この程度の価格になることを意味しています(もちろん,生産効率が上がり,原材料価格が下がれば,もっと安価になるはずですが)。
以前は,ドラッグストアにて1箱500円程度で購入できていたはずです。今後,平時が戻れば,私たち消費者は,国産品よりも安い輸入品を再び購入できるでしょう。そうなれば,もはや日本で使い捨てマスクを生産する意味はありません。もちろん,環境負荷が少ないなどの特別なマスクであれば国産化する意味はあるのかもしれません。
ポスト・コロナ危機において
ウィルスのパンデミックは,国際貿易に大きな打撃を与えています。国際貿易には,外国から必要なモノを効率的に入手できる,というメリットがあります。これが失われてしまうと,経済成長の源泉である世界の自由貿易体制が崩れてしまうだけではなく,経済危機からの早期の回復が損なわれてしまう恐れがあります。それゆえ,国際社会にとって不要な貿易障壁,保護貿易主義が高まらないよう注意し続けることが大切です。この意味からも,国産化は必ずしも望ましい選択肢ではありません。
今回の危機から私たちは,今後,どのように危機に備えるべきかを学ばなければいけません。これまで,日本に住む人びとは,震災などの自然災害に備え,水・食糧などの生活必需品を,少なくとも1週間分は備えるように要請されてきました。これに加え,私たちは使い捨てマスクなども個人で備えるべきでしょう。一方,資源エネルギーや食糧の安全保障と同様に,医療機器や医療用マスクなど「国民の健康に関わる重要な物資」の安全保障は,国家が負うべき責任と言えます。国家は,食糧安全保障における「バッファー・ストック(緩衝在庫)」のように,このような重要な物資を平時より計画的に備蓄するべきです。
今回のようなウィルスのパンデミック(世界的な大流行)下では,このような重要な物資の生産国の生産量が短期的に減少し,世界への輸出が大幅に減少することにも備えておかなければなりません。当然,日本だけではなく,すべての国家が「国民の健康に関わる重要な物資」を必要とします。それゆえ,国際社会はこの備蓄策に,国家の枠を越え,協力して取り組むことを望むはずです。
日本政府は,危機への備えとして,これら物資の国産化よりも,国際協力に力を注ぐべきです。まさか日本政府は,日本の人びとに必要な量だけを備蓄できれば良い,と考えているわけではないでしょう。
参考
日本衛生材料工業連合会
http://www.jhpia.or.jp/data/data7.html
注
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